アメリカで働き出してから4年目になりました。日本へ帰国するのは、家族で集まる時と、日本での仕事を頂いた時など。今回の一時帰国は1年半ぶりでした。
アメリカ- 日本間の飛行機は長いです。12時間くらい。飛行機で眠れる方でもないので、毎回いろいろ工夫しますが、やっぱり大変です。最近やるのが、SEATGURU というサイトであらかじめ席の状況を確認しておくこと。トイレが近いのかとか、コンセントがあるのかとか調べておくと、パソコンにダウンロードしておいた映像をみれたりしてちょっとは楽かなと。あとやっぱり身体が窮屈だと私は頭も働かないので、あまり頭を使わないでも過ごせる映画とか、お笑い番組とか、ヴィジュアル多めの雑誌とか、を機内で見るようにしてます。あとは夜飛ぶフライトにして自然と眠れるようにしたりもします。
今はアメリカで運良く働くことができ、アメリカに適合しようとがんばっているので、今回の日本滞在では日本に住んでいた時の自分と比べないように、というのかな?しました。例えば日本で何かにぶつかりそうになって「ウップス」とか言っちゃっても、今は私アメリカに馴染もうとしているからしょうがないと思って気楽にしていました。NYは日本人の方がたくさん住んでいるし、私も日本語も良く話すけれど、自然と耳に入ってくるのはやはり英語。だから一時帰国して初めの一週間は脳内が軽くパニックしているのがわかります。家族はもちろん、テレビも新聞も日本語だと、INPUTが日本語ばっかりでわ〜ってなります。だからそういう面でも、脳が疲れちゃったら少し一人になって休むとか、自分を甘やかすことを心がけます。
人によっては外国に住んでいると日本語の本が読みたくなるという人がいますが、私は違う言語を読むこと自体がすごく疲れてしまうので、アメリカにいる時はあまり日本語の本は読めません。日本語を聞くことはリラックスにつながるのですが、私には読む、のはすごく大変、ネットの記事は大丈夫ですが、「本を読む」ってすごく能動的な作業なんだなと思います。私の感覚だと、聞く< 話す< 読む < 本を読む < 書く の順で大変です。アルファベットはグニャグニャしているので、一つ一つがカクカクしている日本語を書くのはまた違う集中力と筋肉が必要で、日本語を書いていないと字が非常に汚くなります。
日本では、家族と過ごすのはもちろん、懐かしい友達にたくさん会えました〜。すごく久しぶりに会う友達もいて、それぞれが全く別の人生の方向に行っていたり、相変わらずだったり、ほんとうに心からリラックスできました~ 。それぞれの時期の友達が、私のそれぞれの角度を映し出してくれているので、友達に会うとやっぱり日本は私のベースなんだなぁ、と思います。NYで出会った友達ですでに帰国している友達と日本でも会ったりして、日本の方が生き生きしていたり、その逆もあったりと、人それぞれの場面を垣間見させてもらったのもありがたかったです。
日本の大変さ、NYの大変さ、どちらもあって、旅行や留学で来るのとはまた違って、NYで働くのは、やはり大変だなぁと思います。精神的にも肉体的にも強い人でない限り、NYで働くのは、特におすすめはできませんが、大変さを引き受けた人には非常に楽しいかなと思います。大変さが、「生きてるって感じ~」 と感じられて楽しめる人は、NYの方が合っているのかもしれません。でもこんなはずじゃなかった! っていう場面は絶対にあるので、そこでどう踏ん張れるか、かとも思います。
旅行者として滞在してみると、日本ほどいい国は、やっぱないんじゃないかと思います。屋外の公衆トイレの便座ですらオートマチックに暖かく保たれているなんて、さっきアメリカ人の友達に話したら「信じられない!」と目を丸くしていました。(便座が暖かく保たれていること自体があまり想像できていない様子。)東京オリンピックに向けてなのだとは思いますが、日本が目標を見つけた時の学習能力はすごいなと思いました。新幹線の乗り場で (流行りのブルックリン的な?)おしゃれな感じのエスプレッソが呑めるなんて、学習能力以外の何物でもないよねとか。とはいえ、アメリカ人旅行者としての目線を想像するに、旅館とかローカルかつディープな日本の良さはやはり日本語が話せたり通じないとあまり楽しめないと感じたので、日本語もわかるし親しい友人もいるけど、日本の習慣から少し離れて生きているという、今の私の立ち場の人が、一番日本の良さを感じられるのかもしれません。アメリカは皆がバラバラに、頑張っている人もいれば怠けている人もいて、国の目標が定まったからといって一致団結みたいな感じになるのかなというと日本ほどそうはならない気がします。
そうして、NYに戻ってきました。帰ってきて1週間ですでに髪の毛ばボサボサに。これは水のせいなのか、乾燥した空気のせいなのか、日本製のシャンプー&コンディショナーを使っているのに、なんなのでしょう。でももうここはアメリカ、細かいことにあまり気を使っては生きていけません、ユーモアと大らかさが取り柄です。クッキーもケーキも大味です。レストランは吟味しないとおいしいものは食べられません。マンスリーで買ったメトロカードが2週間でなぜか読み取り不可能の表示がでます。窓口に行っても「ここに送れ」という封筒だけを携帯で話しながら手渡されます。そこに送っても何の音沙汰もなく、仕方なく新しいメトロカードを買うことになります。ホスピタリティーとも心地よさからもほど遠いです。
それでも新しい仕事が巡ってきたり、パフォーマーとしての仕事を依頼してくれたり、日々は回って行きます。日々が回っている間はそこにいて、そこで頑張れという証拠かなと思っています。それと、NYは頑張っている人には優しいです。何かをやろうとしていること自体は基本的に応援の姿勢で、足りないところを教えてくれるし(聞けば)、足りないところがあって当然で、育っていくこと前提で街が回っている。日本はどちらかというと、少しでも何かが足りないと、または完璧にしないとやっても意味ないみたいなところがある気がします。完璧に発音もできないと英語やっても意味ないみたいな。アメリカだったら、話そうとするその努力をかおうとする姿勢が、普通の人にはある気がします。
どこにいても良いところ悪いところがあるから、やっぱり自分次第だなと思う今日この頃です。
P.S. 日本から買ってきたもの: 機能性ソックス、レッグウォーマー、新しい味のポッキー、化粧水、乳液、パック、
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